ヴァンアントワペン ドナルド牧師
Unfinished Community
2024年3月31日
ゼカリヤ書14:1 14:6-9 14:16 &マルコによる福音書16:1-8
今日はイースターの日曜日です。教会で聞くイースターの話がどんな話かご存知ですか?例えば、クリスマス・イブに教会に来れば、ユダヤのベツレヘムの飼い葉桶で生まれた神の独り子イエス様誕生の奇跡の話を聞きます。当然、クリスマスの時は、教会でクリスマスストーリーを聞くことを期待します。聖霊降臨を祝うペンテコステの日に教会に来れば、密室にいたイエスキリストの弟子たちが聖霊に満たされ、その働きの結果多くの人々クリスチャンになるという奇跡のお話しを聞くことを期待するわけです。
ですから教会に親しみのある方は、イースターでは死んだはずのイエスキリストが甦られたお話しを聞くことを期待されるでしょう。死んだはずのイエス様が甦られる、そしてその甦りの知らせがまず女性たちに知らされます。喜びを持って、主であるイエスキリストの甦りを(男性の)弟子達に伝えると、弟子達はイエス様の甦りを信じることができません。そこには自分達がこの目で甦りをみなければ、自分達がその知らせを伝えなければという、男性が伝えなければ信じられないなどという男性優位の社会構造の歪みも明らかにされます。
イースター、イエスキリストの甦りを信じ喜び祝う人々にとって、イースターのお話にあるこのような側面を私が話す時、私がキリスト教にとって大切なこの物語を否定していると思われるかもしれません。もちろんそうではありません。イースターのお話は、キリストが甦られてもなお、罪におおわれ、汚れたままの人間性があったとしても、私たち人間が知っている現実のあらゆる法則や規則がまだそこにあったとしても、それを打ち破る、何にも勝る力があるというお話しなのです。
しかし、だからといってこのこの世離れしたお話が、自分にどのように関係があるのだろうと思う方もおられるかもしれません。イエス様の復活のお話が、自分個人にどのような意味をなすのだろう?イースターを喜びを、お祝いしている方の隣でこのような疑問を持たれる方もおられるかもしれません。
例えば、白人警官がたくさん占める教会で、白人世界で復活した白人のイエスについて話されているのであれば、復活どころか白人至上主義の犠牲になり、白人警官に射殺された黒人、褐色人種の死体を目の当たりにした黒人社会にとって、イースターの物語のどこが喜ばしいのでしょうか?イエスキリストを信じると告白する当事者たちから、憎まれ、虐待され、拒まれた人々にとって、イエス様の甦りが何を意味するのでしょう?
私は昨年あたりから、そのことをよく考えるようになりました。まだ完全なる答えにはたどり着いていない気がしますが、少なくともその答えの始まりを、聖書の中ではなく、最近のスタートレック(アメリカのSFテレビドラマシリーズ)のエピソードに登場する二人の人物のやり取りの中に見つけました。
その二人の人物の一人は、艦長から提督に転身したジャン・リュック・ピカードです。彼は多くの成功を収めたにもかかわらず、欠点を持つ人物であり、過去の多くのトラウマからつきまとう罪悪感を和らげるために、人生の大半をできるだけ多くの命を救おうとして生きてきました。そしてもう一人は、Qです。Qは「神のごとく全能ではあるが、神ではなくまったく常識の通じないトラベルメーカー」(Wikepediaより抜粋)として描かれています。
なぜか1シーズンに1度か2度、Qはピカードを混乱させるためだけに現れ、ピカードの人生を狂わせたり、いたずらを仕掛けたり、とにかくピカードを混乱させるわけです。この二人のストーリーの全容を理解する必要はありません。(聖書の代わりにスタートレックの話を理解してもらおうと思うほど私は変人でありません)ですが、少なくとも、今日私がみなさんにシェアするピカードとQのやりとりの話は、これが二人がやりとりする最後の瞬間であることを知っておいてほしいと思います。
50年以上にわたって、神のような存在Qはピカードの人生における数々の最悪の瞬間に立ち会ってきました。そして今、二人が共に過ごす最後の瞬間、二人はピカードの子供時代の家、長い間放置されてきたピカードの幼少時代の家の壊れた吹き抜けに座っています。ピカードはその家で経験した数々のトラウマがまだ剥き出しとなり自分の前に座っていることに気づきます。
そしてその瞬間、ピカードは、Qがただ彼を混乱させたかっただけの、意地悪で気まぐれで、時には残忍な存在ではなく、ピカードをゆっくりと注意深く見つめ、愛を持って導き、ピカード経験したトラウマを彼自身がはっきりと見ることができるよう、長い間ピカードを苦しめてきた罪悪感を解き放ち、そこに赦しを見いだし、ピカードを苦しめてきた人物と自分を比較するのではなく、ありのままの自分を受け入れることができるこの場所に、Qが自分をついに連れてきたのだということに気づきます。
そして、そのことに気づいた時、ピカードはQに聞くのです。私たちの誰もが、創造主である神様に出会い、自分の人間としての弱さを見つめざるおえない時に誰もが思う疑問。それは。
なぜ私なのだろう?
主のいない空っぽの墓、死を思い起こす十字架、墓場、トラウマを受けた幼少時代の家、多くの人たちが排除し、否定しようとする死の象徴が私たちを造られた神様の愛によって個人的に、愛情を込めてそこに置かれたのだと聞く時。
なぜ私なのだろう?
死を打ち破り、甦られた主イエスキリスト。そんな崇高な神様が自分のように小さい、弱い者のためにおられるわけがない。主の甦りは、いい人、欠点のない人、いトラウマのない人、居場所がある人、良いことができる人のためのはずなのに。
なぜ私なのだろう?
それでも選ばれたのだとしたら、私には何か崇高な使命が与えられているのだろうか?私は世界を救わなければならないのだろうか?私は必要とされているのだろうか?
なぜ私なのだろう?
ピカードがこの疑問を投げかけ、Qがいつになくシンプルで正直な答えを口にする時、私は復活したキリストの声を、神様の愛のささやきを、最もはっきりと聞くことができます。
「なぜ私なのか?質問の答えは、常に壮大で崇高な意味を持たなければならないのか?重要な意味を持たなければならないのか?君の質問は私にとって重要だ、それだけではダメなのか?なぜなら私にとってあなたは大切な存在だから。」
復活の物語は教会にとって確かに重要です。イエスキリストの復活を通して、自分達が闇と罪の人生から救われ、復活できる。欠けだらけの自分が復活の世界に含まれていることを思う時、
でも、なぜ私なのだろう?その疑問が残ります。
新約聖書にある福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書)は、キリストが何を語り、何をなさったかを主に語りますが、神様がなぜそのようなことをなさるのかが、語られているのは旧約聖書にある預言書です。今日の聖書箇所、ゼカリヤ書の言葉を見てみましょう。
預言者ゼカリヤは、神の民がバビロニア帝国によって貶められ、様々な場所に散らされていた時代の預言者でした。バイロン大帝国は神の民を虐げます。捕囚の民として扱われ、残忍な虐待を加えられ、家族から引き離され、全てを失い、自分達の国を粉々され、そして様々な地に散らされたのです。そんなゼカリヤは打ちのめされ、傷ついた人々に対し、神様からの言葉をこのように語ります。
「あなたたちから奪われたものがすべて戻され、あなたたちが堪え忍んだ寒さがなくなる日が来る。あなたに背を向けていた者はみな、あなたに立ち返り、あなたを通して主を理解するようになる。光は再びあなたを照らさずにはおかない。「生ける水」の泉は、あなたの地から永遠に流れるほどに力強く湧き出る。そして、あなたは二度と渇くことはない。」
まだ暗闇の中にいる人にとって、このような言葉を信じることは簡単なことではありません。このような言葉を信じることはそのような人々にとってはそれこそ苦しい戦いかもしれません。
けれど、ゼカリヤが預言したその瞬間はやってきます。権力者や特権階級が皆、快適な上座の部屋へ向かった時、その場に残るのは抑圧され、話を聞いてもらえず、沈黙している者たちだけです。墓場の石は転がり去り、神様は示され、先を歩かれます。抑圧的で、高度に兵器化され、軍事化され、政治化された帝国の手にある死でさえも、私たちの神様が神の民に約束したことを止めることはできません。死も、いのちも、天使も、支配者も、現在のものも、来るべきものも、権力も、高さも、深さも、すべての被造物の中にも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことのできるものは何一つないからです。
正しい祈りをしたからでも、正しい言葉を言ったからでもない。すべての規則を正しく守ったからでもなく、争いを避けるために自分自身の思いを隠したからでもない。傷跡を隠したからでも、自分のセクシュアリティを否定したからでも、貧困を隠したからでも、キリスト教信仰を支配する白人支配の文化に屈服したからでもない。
そうではありません。
私たちの希望は、天と地の造り主である主の御名にあります。
私たちの希望は、死に至る渇きに屈し、十字架の侮辱に屈し、帝国の残忍さに屈し、墓の冷たい牢獄に屈した主の御名にあります。
私たちの希望は主の御名にあります。主は、世が無視し、排除しようとする見られていない人々に、まばゆいばかりの啓示を与え、死に勝利して現れたのです。
私たちの希望は主の御名にあります。主は、私たちの壊れた不完全で汚れた世界のあらゆる汚れ、垢、泥の中にまで手を伸ばし、その力強い手で私たちの疲れた頭を引き上げ、こう言われるのです。
あなたは私にとって大切な人。大切な存在。そこに希望があります。
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